| 精神科医療の中の女たち |
5月の公開講座は精神科医の定本ゆきこさんと、WCKスタッフであり精神病院のフェミニスト・ソーシャルワーカーでもある有海誠子をシンポジストに、「精神科医療の中の女たち」というテーマで話し合われました。女性というジェンダーを共有しているからこそ、これまでの男性精神科医や援助職専門家とは異なる視点で、女性の症状や心の病を理解できるというお二人の思いがあふれた公開講座でした。
まず、定本さんは精神科医として少年鑑別所やクリニックなどで、行動化(いわゆる非行)する思春期の子どもたちや症状を出す子どもたちとかかわってこられたが、子どもたちの行動化や症状は、親に対して怒りを向けられない「社会的弱者」であるがゆえの、当然の正常な反応だと話された。また、「ごく普通の家庭内で、(女性を)傷つけることがあるのだということが精神科医療の中で知られていない」「女性の発症は、ライフイベント(結婚、出産など)と関連している」「女性は対人関係に関して敏感、そのために傷つくけれど、また関係の中で癒される」という指摘は、男性優位社会において「社会的弱者」である女性が出す症状や心の病気について、同じジェンダーを共有する女性への共感と理解に満ちているだけではなく、女性のもつ力を再定義される定本さんのような精神科医が増えて欲しいと願わずにはおれなかった。しかし、まだまだ精神科医療の現場においては、女性の心の病気は、女性自身の未熟さや人格的な弱さに原因があると捉える男性中心の考え方があるはずで、定本さんの見解は受け入れられるのだろうか? 現場ではどうしておられるのだろうと考えていると、「男性医師はわかっていないのだから、もっと教えてあげればいい」とのことばで一刀両断。定本さん自身が女性としての自分の力に確信を持っておられることが伝わってきた。その確信は定本さんが当初、「極限・無力から大きな何かが始まる」との思いから、ターミナルケアを志されたことと無関係ではないと思う。定本さんのなかに、いつも「絶望から希望を見る、大きな何かが始まる」という、自分・他者に対する圧倒的な信頼を感じた。
続いて、WCKのスタッフであり、精神保健福祉士として精神病院で働く有海は、精神科医療のなかでフェミニストでありつづけることのジレンマについて話した。例えば、「性別役割を一生懸命して破綻して発病した女性に対して、性別役割に適応することが回復だと考え、発病するのはその女性に問題があるという従来の精神科医療」は、フェミニズムと真っ向から対立する。女性患者をそのように捉える医療関係者と、「回復イメージ」を共有することの困難さ、その性差別的状況に同じ女性として感じる怒り、疑問、あるいは無力感が有海からオープンに語られた。男性中心社会が考え出した「適応」の枠から、はずれても過適応して、「病気」のレッテルを貼られていく女性。その現場で女性患者を支え、精神科医療の家父長制的ヒエラルキーの中で、フェミニスト・ソーシャルワーカーとして戦う有海のパワーが一言一言に感じられた。有海自身の個人的な性差別体験がパワーの背景にあるということだったが、「個人的なことは政治的なこと(Personal
is Political)」。まさに、フェミニズムの視点に貫かれたパワーだと思った。
今回の公開講座ではシンポジストのお二人ともが、自分自身の個人的な性差別体験をオープンにしながら話された。そのことでシンポジストと参加者がより「女性としての体験」を共有し合えたのではないかと思う。この「共有」こそが「Personal
is Political」、WCK公開講座の醍醐味ではないか(自画自賛?)と思う。 |
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