報告文〜1997年3月23日
産婦人科医療を問う!
吉田 1997年3月に『産婦人科医療を問う−心と身体と性をめぐって』と題して公開講座を開催しました。この紙面では、シンポジストのひとり、岡田啓子さんの話を紹介します。

平成7年9月に笠井寛治、元医科大助教授の著書「日本女性の外性器」という本が発売されました。
これは大学付属病院の婦人科の診察室で患者に無断で性器を計測して撮影し出版されたものです。岡田啓子さんは、大津市役所の市民相談室に勤務し、この著書に抗議する会で活動しておられます。

  〜 きっかけ 〜

岡田 主催者から、役所に居るので名前とかどうしましょうという相談があったのですが、特に悪いことしてる訳でもないし、この件については、職場でも公認で人権問題ということで、皆さんに暖かく支えていただきながら仕事をしておりますので、今日は本音で秘密なしでお話させていただきたいと思います。

  2年前の1995年のことになりますけれども、簡単に経過を報告させていただいて、自分たちがどう言うふうに取組をしてきたか。どう言う事が問題なのかについてお話させて頂きたいと思います。
まずレジメに沿ってご報告させて頂きたいと思います。

 10月27日なんですが、新潟の女性から市民相談室に一本の電話がかかってきたのです。「滋賀県特に大津の女性から人権侵害をされたという相談が入っていませんか。」という電話でした。たまたま私が出まして、「どういうことですか。」と、聞きましたら、「滋賀医大の現職の教授が女性性器を計測して9月1日に出版したんだけれども、私は絶対に許す事が出来ない」と。「新潟の女性でもこれだけ怒っているのだから、地元でそれも患者として診察された者は凄く痛みがあるし、苦しいやろうし。」という問い合わせがあったのです。今までそういう相談は入っていませんでしたが「これはやっぱり、人間として女性として許す事が出来ない」と思いまして、私も可能な限り行動すると答えました。

  その日にちょうど市の人権相談がありまして、人権擁護委員さんが見えていました。「こういう相談があったんですけれども、これはどういう事でしょうね。どう判断されますか。」と、二人の相談員さんに相談したところ、「絶対許せない。信じられない。」と言って、人権擁護委員の元締めになります法務局人権擁護課の方にすぐお電話されたのです。担当の人権擁護課の係長とやり取りがあって、「岡田さん、全然話にならないので、直接話したらどうか。」と、言うことで、電話を替わりました。
そしたら、人権擁護課の係長は「学術書と言うことで出版されてるから何も問題はない。」と言いました。私は、「あなたは、現物も見てないし、本当にこれが学術書かも分からないし、実際に被害者というか女性はそういう事を誰も認める人はいないと思うけれど、一係長だけの判断でいいんですか。」と、問いましたが、剣もほろろに門前払いでした。

  人権擁護する所が、相談があったにもかかわらず、深く考えもせず、調査もせずに門前払いする事は本当に許せない事だと私は思いました。市民相談室、として公務員の仕事としての対応でこれですから、やっぱり普通の市民が訴えた時、門前払いされるのは当然かと。国の機関である法務局の人権擁護課と言う所で、それは貴方の人権擁護課の判断ですか。」と聞いたら「そうです。」と答えて、本当に他人事だったのです。

  人権が侵害されたと言う事で唯一申立する所がそこであるにもかかわらず、全く被害者の人権を守ろうという姿勢がなく、私は本当に傷つきまして、脅迫まがいに、「今貴方が言った事は後で重大な事になるから、これは記録に残して置く。」と、言って電話を切ったのですけれど。人権侵害を他人事、それも特に女性の性器の問題とか、全然痛みを持ってとらえられていないんだなと痛感いたしました。

〜 はじまり 〜


岡田 一人ではだめだ。後いろんな所にも働きかけて、皆で抗議しよう。私も女性のネットワークをいろいろもっていますので、そういう所に働きかけまして、電話を受けて一ヵ月後、やっぱり何とかやって行かなきゃいけないんだなと、黙ってれば、これを認める事になってどんどん増幅するので、頑張ってやっていこうと決めました。

  一ヵ月後、新潟の女性の多田さん、今回の申立人の一人ともなっていますけれども大津の方に来てくれまして、とにかく、何がやれるか分からないけれども、何か私たちの意思を抗議としてあらわして行こうと、本当に素人集団なんですけれども、七、八人寄りまして、作戦を練りました。

 例えば、私の写真が写っているとしたら、マスコミがドッと来たらどうする?とか、それから滋賀医大の対応とか、いろんなことあらゆることを想定し出来ることをしよう。だだ個人では、つぶされてしまうとピンと来ましたので、私たち市民運動でやっていこうと決めたんですが、誰が代表になるのかで、みんな困るんですよね。私がなってもいいのですけれど、窓口が市役所になると困るし、家には夜しかいませんので。一人ずつ「あなたどう」と。やっぱり家にマスコミがワ−ッときたりしたら困るとか、やりたいけど出来ない条件、引き受けたらどういう風な事をされるか、が想像出来るので皆困ってしまいました。

  たまたま滋賀県平和人権運動センタ−の職員で井上甲さんと言う方なんですが、平和人権センタ−に入っておられるので、 やってもらえないだろうか。事務所も半公的な部分ですので対外的にも複数の者で対応出来るからと、大変ラッキーなことにそうやって相談の窓口も決まりました。

 そして抗議文を作ろうと、みんなやっぱり怒りがあるので、みんなで原稿を持ち寄って、どう言う風にしたらいいかなと話し合いを重ねました。丁度京大のセクハラ問題で、小野先生が意見を申し立てたら、逆に訴えられるというようなことも聞いていたので、文章の言葉尻をとらえて、 出版社から営業妨害だとか、家裁から人権侵害だと逆に訴えられたりしたらどうする?などと、 素人ですからいろんな事を考えながら抗議文の文章も考えました。

 で何処に持って行ったらいいかと考えまして、それからいろんな活動もしていこう、ただ市民運動だけでは狭すぎると考え、県会議員で澤田さんと言う女性もいますので、県議会で質問して頂こうと。何故県かと言うと、県も健康福祉部医務薬務課が、滋賀医大を監督する所でありますので、そういう面からも話をして頂こう、また国会議員とか市会議員にも質問しいただくことになりました。

 とにかくいろんなことを考えまして、11月27日の記者発表に臨みました。私とあと三名で臨んだですがその時も「誰が代表ですか」とか、これも男社会の一つの判断だと思うんですが「市民運動で誰も代表でやってないんですよ。皆でやってるんです」と言うことも、分かってもらえないと言うのがすごくありました。記者発表した時も記者のほとんどが男性ですから、やっぱり一歩引いた感じの取材でした。次の日に全紙載りましたけれども、全国版で載ったの二紙ぐらいで、後は滋賀版ぐらいで載りました。

 訴えたのは出版社、滋賀医大、笠井寛治、人権擁護委員会、法務局、それから検察庁にも訴えました。七つぐらいに訴えまして、一ヵ月以内に説明会、要するに見解を出してくださいと要請をしました。

 私たちの予想していたとおりすごいマスコミの取材攻勢が始まりました。井上さんが人権センタ−に詰めてまして、電話が切れる位いろんな所からかかってきます。TV局もべったり張りついて、身を隠さざるを得ない状況でポロッポロッとこちらが喋ったことを、都合のいい所だけ引き出して書くわけです。その時の週刊誌を十冊ぐらい持って来ましたので、ご覧下さったらいいのですが、基本的には男の性文化と言うか、好奇心で取り上げられているわけなんです。だから週刊実話だとか週刊宝石だとか、私たちが一生懸命痛みを持ちながらやっていることを、婦人団体がキ−キ−言いながら抗議しているという凄く歪めた形で笠井氏を持ち上げる様な形で揶揄する。何でこれが問題なのかと、逆にあおりたてまして、それをまた欲しがってまた見たがる人がいまして、本がすぐ売り切れてプレミアがつく状態に成ってきました。これも私たちが恐れてきたんですが、そういう風な状態でした。

 本当に予断と偏見に満ちたものでした。毎日新聞と週刊朝日の人はちゃんと取材に来られて、きちんと書いておられて署名記事でしたからまだましでしたが、夕刊フジとかは、捏造しまして、私たちが一番許せなかったのは「内部抗争がある。笠井ともう一人教授の内部抗争があって、相手側の教授から私たち女性の抗議する会が頼まれてそれで騒いでいるのだ」とまことしやかな、当事者にしたら信じられない記事がどんどん載っていくような二ヵ月が続きました。

  〜 抗議運動 〜

岡田 笠井と滋賀医大と出版社の動きなんですけれど、笠井は12月19日に退職願いを出したんです。59歳でまだ定年まで二年位あるんですけれど、依願退職と言うことで出しているわけなんです。大学は一応保留と言うことで、大学内で調査委員会を七回、私たちの抗議と平行しながらやられてまして、滋賀医大の方も十年以上放置していた責任が凄くあると言う事で、何度か電話をしまして、やっと顔の見える関係で抗議運動をやり初めました。

 12月7日と28日。最初は庶務課長、次は総務課長とやったんですが、調査委員会を7回やったというのもおざなりで、誰も関係者とか呼んでいない訳なんです。実は十年前に笠井氏は「名器の科学」と言う本をワニブックスかごま書房から出してまして、その中にはっきりと大学ぐるみでコンピュタ−とかそういう印刷技術とか職員なんかにも協力を得ながらやったと書かれてました。その時には大学でも問題になって、訓告と言うか注意をしていたことはある。ですから当然知ってる訳です。

 今回こう言う事があったので、世間的にも問題にされてきたので、前は内部だけで押さえておいたけれども、今度はどうしょうもなく結局翌年になったのですが、1月16日に辞表を受理したわけです。その調査の仕方もまったくカルテとかを見るわけでもなく、その時働いていた人達は当然知っていました。無断撮影とか計測をしていた事実を知ってるわけですが職員についても、患者についても全然聞き取り調査なしで、辞めさしてしまつたら大学側の責任は消えるというすごく甘い考えで、個人の責任にずっとしてきました。滋賀医大は辞表を受理しました。

 学長説明会があり「大変遺憾な事であり申し訳ない、だから文書訓告をして辞表がでているので3月末で辞めさせる」と言う様なことを言ったんですけれども、大学側の責任とか、或いは一刷目が9月1日に出て三千部が直ぐ売り切れて、11月1日に二刷目が出て、其もまたすぐ売り切れて、4月1日にも三刷目が出ると言う事も私達は聞いていましたのでこれ以上被害を拡大するのは困るから「大学名で出版社に対して今回の出版計画をやめて絶版にするように申し入れをして欲しい」と言いまして、それを大学側はしてくれましたけれども、結果的には出版社からは無視されたと言うことになりました。

 結局大学側も笠井個人がした事だから、ネガ回収などはできないということなんですね。私達は「診察の中でやられたことなので、当然大学側の責任で回収出来る」と言ったんですけれど。「笠井に尋ねたらネガは全部処分してしまった」「笠井の言うことを信じるしかない。大学側も疑わしいとは思うけれどもこれ以上警察でも検察でもないから、調べたり追求したりする事は出来ない」と、のらりくらり逃げてしまって、私達がいくら大学側の責任と、教育者として、あるいは医療機関としての責任はどうなんだと追及しても、ずっとのらりくらりと、辞めたら関係ないと言うことで逃げてしまいました。

 私達は素人の集まりですけれど、考えられること、やれること何でもやってみました。いろいろ動くにもお金がいるんですけれど皆でカンパしあいながら、東京にも何度も行きました。シンポジュウムとかいろんなことをしました。

  あるメンバ−が「医師法と言うのがある。医師法の中には医師の道義的責任もはっきり書いてあって、医師としての尊厳を揺るがすようなことがあったら、厚生大臣はその免許を取り上げる事ができると言う事が書いてある。笠井の行為はこれに当たる。」と提案。丁度その時は管厚生大臣でしたから、私達寄りに考えてもらえるかなと、甘い期待を持って、厚生大臣宛に医師免許取消の申立もしました。

 これは後で判ったんですけれど、医師法と言うのは医師を守るためのものであって、審議会とか医師会とかいろんな所でガードされてまして、風紀を乱すよううなことがあっても絶対辞めさすことが出来ないというシステムに成っているんです。だから富士見産婦人科で十何年前ありましたけれども、あの人達でさえ医師免許を剥奪されずに今現在でも診察行為をしている、そういうことなんですよね。

  だから刑事事件とかで本当にダメージがあった時しか、医師免許を剥奪されないと言う構造も私達は知ることが出来ました。だから医師法と言うのは、本当に私達の味方にはならないと言うふうなことがありました。
 私達の性器、決して猥褻でもなんでもないんですけれども、この使われ方が凄く歪な形で出てきてるから、これについては、猥褻文書の販売罪に当たるのではないか、と考えました。それともう一つ、本人が出てきて「これが私の写真です。」「私はこれが不愉快です。」と本人が申立をする親告制度を使えないかと。でもそれをしていくには、私たちは本当に個人を守ることが出来るかどうかと、何回も話し合いました。告訴が一番てっとり早いんですけれども、検察庁の方に猥褻文書の頒布罪で告発するしか出来なかった。告訴と言うのは個人でやって行くしかないし、それは二重にレイプされるんじゃないかと言う不安が、私達の中のにもありました。

 ずっと運動する中で、三名の元患者が「私の写真が撮られているんじゃないかな」と言う人が名乗りを上げてくれまして一緒にやってたんです。でも一名の方は二回一緒に行動してたんですが、どんどん話が大きくなって輪が広がると、三回目に来られた時逆に病気のようになられて「私達が支えるんや」とか「名前とか出ないように守る」とか言ったんですが、三回目から来られなくなったんです。二回めも必ず行くと言いながら、一番最後に集会にそっと来られたり、それくらい元患者と言うのは痛みがある。本当に患者の立場に立って私達は、運動して行かなければならないと思いました。その内の一人の方は元気な人で、「私は一人でも多くの人に訴える」と言っておられたんですけれど、その方もやっぱり夫なり家族がいますので、やっぱり説得されてちょっと動けないと言うことでした。

 簡単に名乗りを上げてもらえばいいと言う問題ではない、私達は運動する中ですごく優しさと言うか思いやりみたいなものを持ちながら、社会的に広げていかなければならないと思いました。それと、マスコミの対応でも分かるように、女性に対して、女性性器を物としか思っていないと言うのが凄く有りましたので、国会議員に対しても国会の中で質問していただけないかと依頼しました。

 まず最初女性議員に声をかけたんですが、三分の二以上の議員は関心が無かったです。女性だからと言って関心があるとは限らなかったですね。清水澄子さんとか二、三人の方は反応があったんですけれども。あと、新潟出身の男性国会議員が質問をしてくれました。これはゆゆしき問題なので、法務局の中できちんと人権侵害で調査すべきだと言う内容でした。

 当初私が法務局に話した時は「これは学術書だから人権問題じゃない。」とポーンと答えたんですが、国会で質問がありまして法務局の上の方からトップダウンで降りてきまして、調査することになったんです。私は頭に来ましたから例の係長に「あなたあの時なんていったん!」というやり取りをしたんですけれど。「これは上からの命令だからやるだけ」と。だからどういうことをするか分かりますよね。イヤイヤながらしている訳なんです。だからもう半年以上経っても何も進んでいません。どれだけの調査をしているのか、何回も聞きに行くんですが、
のらりくらりで進んで行かないんです。

 でも国会議員とか国レベルの動きがあると、動かざるを得ない。国会議員に輪を広げたことは、案外良かったと思います。県に対しても指導する立場にあると言う事で、話し合いを続けてきました。

 〜 ネットワーク 〜

岡田 それ以外には、私達と一緒にやって貰える所はないかと言うで事で女性のネットワークを広げていろんな形でのシンポジュウムなり学習会に問題提起をしました。日本婦人会議とか、婦人民主クラブの協力も得ましたし、新聞ふぇみんに取り上げていただきました。それから署名運動は、自治労、教職員組合の女性部に働きかけて短期間に何千枚も集める事が出来ました。

 それと日弁連(日本弁護士連合会)の人権擁護委員会というのがありまして、人権問題として扱って欲しいとお願いしましたら、心良く私達の真意を組み入れて、事前審査が決まり順調に進んでいます。もう一つ自由人権協会というのがあるんですが、ここでも重大な人権問題であると例会の中で取り上げられて、今声明文を出していただいています。拘束力はないのですが、日本人の良心に訴えると言う形で大きな効果があると思っています。

 活動していくなかで、一緒に是は問題なんだと考え、日本にも良心がある人が沢山いるんだと勇気づけられて、支えられて来ました。嫌な事も沢山あるんですが、そういう新しい出会いで人間的に誰でも許せない事は一緒なんだと実感出来たこともあります。

 それと、滋賀県にあるお医者さんの保険医協会の方に申し入れて何回も話し合いをしました。その中に良心的なお医者さんもおられまして、同じ医師としてこういう行為は許せないと医師会の中で変えて行こうという運動も出てきています。

 結局法的には笠井を罰する事が出来ない、若し罰したとしても、罰金が十万、二十万位で終わってしまう。また私達がやればやるほど、マスコミが騒ぎ立てて、一番危惧していたあの出された本の写真がコピ−されて、いわゆるアダルトの雑誌のおまけに付けて、これを購入したら通信販売で売りますとか、そういう事が実際にやられていて、本当に悔しい思いをしています。私達はありとあらゆる事をやって来たんですが、笠井の息の根を止める事は現実出来ない状態で大変悔しい思いをしています。でも、何もせずに黙っていたらこれはしてもいいんだということになる。こういう状態に異議申立をしていかないと世の中変わっていかないと、みんな仕事を持ちながら、出来る範囲の中で活動をしています。

 今やっていますのは、人権申立の救済を法務局にしています。それと検察庁に申立をやってます。後ろに抗議の著名用紙を置いてますので是非協力をお願いします。検察庁は他に事件をいっぱい抱えていますので、自分の手柄になるのなら早くするらしいですが、一人しか滋賀県に担当者がいないこともあつて、後回しになりなかなかやってもらえません。社会的な運動として、女性が怒ってるということを突きつけていかないといけないと思っております。まとまりませんでしたが、報告させていただきました。ありがとうございました。
※ シンポジウムでは3人のシンポジストにお話いただきましたが、ここでは、内容の報告について許可をいただいた岡田啓子さんのお話を掲載しています。