報告文〜1998年9月27日
女性にとっての「メンズ・リブ」
 3周年を記念して開かれた9月のシンポジウムは「メンズ・リブ」とフェミニストカウンセリングの接点を探り、共闘の可能性を考える試みとして行われた。

 最初にWCK代表の井上摩耶子から、メンズ・リブへの期待とフェミニズムとのズレについての問題提起がなされた。ジェンダーの視点に目覚めた女性たちの「目覚めたがゆえの悲劇」をなくすためには父や夫の変化が必要であるが、これが容易ではない。そもそも女性差別の何たるかが男性にはわかっていないうえ、性別役割が刷り込まれた「男らしい」男性はコミュニケーション能力に乏しく、女性に対する情緒的な甘えなどもあって、ジェンダーの視点は伝わりにくい。男性は女性との関係性において自らの要求を一番に通して当然と思い込みがちだが、これは女性の「他者優先性」に支えられ、あまり意識されることがない。自分とパートナーとの関係も例にあげ、そうした男性側の無自覚さに対する「意識覚醒」の役割をメンズ・リブに期待する、と井上は述べた。しかし、権力をもっている側と支配されてきた側とではその意識・行動変革の道筋は異なるのであり、女性問題は男性問題とイコールではない、「男もつらい」では困る、と女性差別への認識を欠いた安易な男女共生社会政策への批判も語られた。

 次にメンズ・リブを代表して大阪大学教授の伊藤公雄さんが、まず欧米における男性運動の展開と日本の現状について、さらに伊藤さん自身が考えるメンズ・リブの方向性について話された。合衆国では、初期には性差別に反対する親フェミニストの男性運動や父親としての権利擁護運動がおこったが、その後男性原理の回復をもとめる運動が強まり、現在ではキリスト教原理主義に基づく保守的男性運動がかなり広がっているという。男性の家庭や地域でのリーダーシップ回復を唱え、同性愛や中絶に反対するこの運動の拡大は、フェミニズムやゲイ・リベレーション運動へのバックラッシュなのだろうか。ヨーロッパでは学生運動の体験を背景にした男性運動が、韓国などアジア諸国では親フェミニスト型の運動が生まれつつあるらしい。日本では、1970年代のウーマン・リブ支援の動きに続き、男の子育てを考える会、アジアへの売買春に反対する男たちの会などの活動があり、91年に関西におけるメンズ・リブ研究会が発足、その後各地で男性センターの設立やメンズ・リブの組織が作られてきた。伊藤さんの所属するメンズ・リブ研究会は男らしさからの開放をテーマとして一種のCRを行っており、語り合うなかで肩の力が抜けていくような体験をされたとのことだった。メンズ・リブの方向性を、硬直した男らしさへの無自覚なこだわりからの開放と感情的・感性的コミュニケーション能力の開発、精神的・生活的自立の獲得と捉える伊藤さんの立場はフェミニズムの視点と重なるものであろう。

 一方、3番目のシンポジスト京都新聞論説委員の川村吉宏さんは、冒頭、井上が自分のことをメンズ・リブ実践者だと考えたのは誤解であると述べられた。性別役割の不自由さ、男としての加害者性は十分に認識しているが、男らしさ意識こそを自己証明としてきた「中年男」にとって自己変革は容易ではない、という。メンズ・リブには男の責任や義務の回避といったイメージが伴い、若干の違和感があるが、一面自由な生き方への羨望と妬みを感じると率直に話されたが、加害者意識の自覚が男性になければメンズ・リブも男の身勝手な願望に終わると指摘。映画「男はつらいよ」は大キライで、車寅次郎はまわりの女たちにわがままな男を押しつけているだけの加害者だとの評には、同感である。

 その後、メンズ・リブの戦略思想や結婚生活における男性の甘えの問題などをめぐり活発な質疑応答が交わされた。メンズ・リブの立場で電話相談を行っている方からの「男性の被害者性を話せる場」「女性の加害者性を気づかせる役割」との発言もあったが、社会全体の構図では男性が圧倒的優位にあり、男性のしんどさはその優位を保つためのものだという認識は忘れてほしくない、と思った。それこそがフェミニズムとの共闘の条件ではないだろうか。